同級生の逝去

昨晩帰宅し、たまたまメーラを開いたら、リアルタイムで幼なじみの同級生の訃報が舞い込んだ。 なにせ同年齢だから、自分も含め、まだ死ぬということに対する具体的イメージがほとんどないわけで、友人宅で呑んでイイ具合にほろ酔いだったのがすっかり醒めてしまう。
幼なじみと云っても幼稚園や小学校が同じだったわけでもないし、長じるにつれてまったく毛色の違う人生を送るようになっていたので、ココ10年ばかり顔を合わせることもなかったが、こうした仕儀になってくると、かの日のいろいろな思い出が脳裏に鮮明にフラッシュバックする。
そんな背景もあって、いま現在、逝去した本人との人間関係としてはそれほど濃いわけでもなく、今回の連絡主であるその兄とのほうがむしろ、年に何度かは会って呑んだりしているので継続的なつきあいとなっているわけだが、なぜか今回の訃報をあちこちに知らせたり、花環を手配してみたり、自分でもなぜ?と思うほどにいろいろ奔走した今日一日。
慶事はゆっくりでよい」「弔事はとにかく早く」というコトバに従い、知らせたほうがよいとは思う先は数多あれど、結局連絡先が不明な先も多く、この情報化社会が聞いて呆れるといった気分。