2010年のパーソナル日露戦争

ココに書くのは初めてだが、またまたくだんの領事部に来た。

本日は来月14日渡航分の五人分のビザ申請だったのだが、手数料がかからないように発給させるためには二週間を要するため、どんなに遅くとも週明けの29日がデッドラインとなる。 とはいえ、それだと発給が出発前日の13日となり、さすがに心もとないのでとにかく今日中に申請したかった。

ところが悪いコトに今回の場合、本日の午前中に成田に帰着する海外出張帰りのヤツのビザ申請も含まれており、当然ながらそのパスボートが手元にない。 そんなコトで、そやつが京成スカイライナーで11:40ごろに日暮里に着くのに合わせて京成の改札で合流し、パスボートだけを奪い取ってその脚で神谷町を目指すという、時間的にかなりタイトな条件となった。


この領事部の営業時間は12:30までなので、かなりギリギリを覚悟で電車を降りて神谷町駅から疾走し、なんとか12:28くらいに大使館の門のところにたどり着くも、南無三!領事部の連中、まだ時間前だというのにさっさと施錠してやがるぅ!

オフィスとココを往復するだけでたっぷり一時間はかかるというのに、そんな僅差で出直しなんぞさせられてなるモノか...日本人をナメるな!とか云いながら、その場でジタンダ踏んで、硬く閉ざされた門をガチャガチャしていても詮ないだけで、もちろん門のトコにベルなんかついていない。

この状況で中の連中とコンタクトを取るにはどうすればイイのかと思案を巡らせた末、iPhoneSafariのお出ましとなり、領事部の電話番号を検索して、ケータイに番号を叩き込む(という表現はノベライズのTwenty-Fourのパクリである)

はたして連中、電話に出て開口一番「今日ハ、モウ終ワリデース」と、いけしゃあしゃあとほざきやがるので、私もついつい語気が荒くなり「まだ時間前だっ!私ゃいま、門のトコにいるんだよっ!」と電話口で怒鳴ってしまった。

すると、しばらく電話を保留にした挙句「オ入リナサーイ」と、まったくもってどっちが客だかわからないたどたどしい日本語で応答をしつつ、遠隔操作で門が開錠された。
※もちろんこれは「お入りください」と云いたかったのだろうが、まだ憤り状態の私には命令口調にしか聞こえず、思わず「はぁ?!」と訊き直してしまった。オフィスに戻ってから、かの国に造詣の深いヒトに今回の一連を話したら「あすこは治外法権ですよ」「その状況だったら、私ならもう諦めちゃう」などと云われてしまった。

この門、見た目はボロいクセに、意外とハイテク使ってやがるなぁと変なところに感心しながら意気揚々と中に入ると、当然のことながら申請者はもうだれもいなかった。 おそらく、今日は空いていて申請者が早めに掃けたので、ちょっとフライング気味に閉じたのだろう。

かくして、どうやら無事に発給申請を済ませた私は、こんな些細なコトが、戦後65年経ってもいまだ平和条約のない日露間の関係性悪化の火ダネにならなければよいが...などと、くだらない心配をしながらも、この寒いのにさっきの疾走で汗だくになり、そんな様相に対する周囲の刺さるような視線に気づかないフリを装いつつ、任務完了の余韻に浸っている次第である。

そして、こんな駄文をしたため始めてかれこれ小一時間が経過しており、フリック入力にだいぶ慣れたとはいえ、やはりiPhoneでの長文入力はなかなかツラいコトをあらためて痛感し、いい加減そろそろ戻らねば、などと思い始めているところである。