JR東日本 E233系車両の車内液晶画面

現行で最新といわれるE233系車両の車内には、各ドアの上に二枚ずつアスペクト比16:9(と思われる)の液晶画面が配置されており、そこに電車の行先や停車駅案内などが表示されるコトは、JRの車両で通勤通学をしているヒトならたいていご存じだと思う。 アレをよくよく観察していると、映し出される内容は3秒くらいごとに切り替わり、あまつさえ英語表記までされるようになっているから、日本という国はつくづく過保護な国だという気がしなくもない。 というのも、欧米諸国の公共交通機関では、次の停車駅が何駅だとかいう放送などされず、そんなものは乗るヒトの自己責任が前提とされていると聞いたからである。


かたや都内の駅などでは、いまでもときどき「○○駅へ行くにはどの電車に乗るんですか?」とか、赤の他人に訊いてくるヒトに出くわすが、そんなの券売機の上にもちゃんと表示があるし、各プラットフォームにもしつこいくらい電光掲示板が設置されているんだから、字が読めればわかりそうなものだがなぁ...というのが本音である私は、ホスピタリティが欠如しているのか?
百歩譲って他人に訊くのは仕方がないとしても、そこらのシロウトにではなく、駅員に訊けばいいのにとも思う。


こんなコトを考えているにもかかわらず、私自身もすっかりその過保護に慣れてしまっているようで、特に車内でウトウトしているときに電車が駅で停まると、はっと目覚めてついついその画面に目をやるようになっている。 ムカシはあんなのなかったのだから、頼らずに車窓の外のフォームの駅名表示を見ればよいのに、などと自問自答をするコトもある。 しかし島式フォームの駅に停まったときに乗降口とは反対側に座っている場合は、ほかの二軍の乗客のカラダに遮られて駅名表示が見えなかったりするコトもあるので、こういう観点ではやはりアレは有用だなどと、自分を正当化することで納得させるようにしている。
(※二軍というのは、電車で座っているのが一軍、座席の前に立っているのが二軍...といった定義である。/ 出典: 通勤電車で座る技術)



前置きが長くなってしまったが、ここからがようやく本題となる。

あの液晶画面の表示については、なんとかならんものかと前々から思っていた。 アレをよく見ていると、電車が走ってる間は、行先と路線図(和・英) - 次の停車駅(和・英)...と表示が切り替わるのだが、いざ駅に停まると、そのときの駅名は開くドア側のほうにしか表示されず、反対側の液晶にはひたすら行先だけが表示されているのだ。

そして昨晩私は、このカラクリにものの見事に陥れられてしまった。

乗っていた電車の行先が、乗換駅と同じだったコトを意識していなかった自分を呪うしかないのか?という気もしなくもない。 席取り合戦に見事勝利した私が、しめしめと座ってついウトウトと不覚を取っていたのは、その乗換駅で開くドア側の座席で、そこから顔を上げると、当然反対側の開かない側のドア上の液晶という構図になる。 そこには行先としての駅名が表示されていたのだが、私はすっかり乗換駅に着いているのだと思い「おっと、降りねば!」とあわてて駈け降りたのが大失策で、なんとそこは降りるべき二つ前の、ぜんぜんカンケーない駅だったのである。

そして、自分の所業が間違っているコトに気づくまでのわずか3秒くらいの間で、まるでこの失策に追い打ちをかけるようにドアは無情な音を立てて閉まり、乗っていた電車はそこに私を置き去りにして出発していきやがった。 このときばかりは、 神なんか存在しないと信じて疑わないこの私も、さすがに「おー...神よ、アナタはなぜにそこまでして、私に試練をお与えくださるのか?!」などと口走ったかもしれない。

結局のところ「寝てるオマエが悪い」と云われてしまえば、ココまで書き殴ってきた駄文は元も子もないのだが、それを敢えて棚に上げてモノ申したいのは「停まってるときは全部の画面に『いま停車中の駅名』を表示させとけ!」ということだ。 だいたい、行先なんかずーっと表示してたってしょうがねぇだろ!という感じだし、そもそも行先によっては自分の降りるべき駅までたどり着けないようなヒトは、乗る前に確認しているだろう。 ましてや乗るときの駅のフォームでも、録音されたアナウンスと駅員のダミ声とのミックスでひたすら案内はされるし、駅に入線してくる車両の側面にも、クドいくらい表示されているではないか。


これらの観点から考えてみても、ほとんどの場合、その電車がどこ行きかなんてどうでもよろしく、私みたいな失策をする輩にとっては逆に不要な情報ということになるわけで、こうしたコトはどこにモノ申せばよいのだろうか、そして申したところできっと改善なんてされないんだろうな、などと鬱々としている今日このごろである。