インターネットというオモチャに最近感じること - 02

かたや当時の勤務先におけるコンピュータの環境としては、いまのように一人に一台に割り当てるという発想そのものがなく、壁際に五台ほど並んでいるものを部署の社員で共用していた時代。 職種柄、社内通達や回覧を作ることも多く、それらはもちろん紙ベース。 管理職が紙に手書きしたもを見ながらワープロ打ち ― 当時、私の場合は一太郎だった ― して清書。それを依頼主に見せ、そこに赤を入れられたものを校正...これを何度か繰り返し、最後のOKが出るまで何度プリントアウトしただろうと思わされるのは日常茶飯事で、どいつもこいつも自分のカネじゃないものだから、紙やトナー、ひいては人的コストをつくづくムダ使いしていたものだと思う。しかもハナっから修正が入ることを前提としてるから、そもそも原稿そのものがいい加減ときていて、直しを入れるくらいなら最初っからちゃんとした原稿を渡しやがれ!とキレそうになったこともしばしば。

こんなの、いまどき同じコトをしようものなら「そんなもん、打ちたきゃてめぇで打ちやがれ!」くらいのことは、新卒のコムスメにすら云われてしまいそうな愚行であり、ともすると「そもそも、なぜワープロで文書を作る必要があるの?」とさえ云われてしまうことは必至 ― そう、いまどき社内向けの通達なんぞは、いちいちワープロ打ちなんかせずに、ぜんぶe-mailにベタ打ちを社内にバラまいてハイおしまいというのが当たり前。 そうした習わしは、いまどきの50歳代前後やそれ以上のヒトたちにとって、かなりの違和感があるに違いないし、それより一世代下の私でも、ふと気づくといつのまにかそれが当たり前になっていることをあらためて感じたものだった。


次回へ続く