八年前の駄文の改訂転載

八年ほど前に書いた文章をなんとなく読んでいて、こんなのもあったのねと思えるものがあったので、ちょっと改訂して転載する。


どこの小学校にもあったと思うが、児童会の会長選挙というのが私の学校にもあり、あのテのものにはたいてい、優等生風情の輩が立候補するのが定石だろう。 小学四年のとき、私のいたクラスから二人立候補したのだが、ひとりはいわゆる優等生だったが、もうひとりはお世辞にも品行方正とはいえず、学業の成績も悪い、いわゆる「いじめっ子」体質の「K君」とヤツだった。

K君はなにをトチ狂ったのか、児童会会長に立候補し、ほかの候補者と同じようにそれなりの準備活動をしていた。 かたや私としては、心の片隅に「K君が当選したら、どうなるだろう」という興味本位なところがあったのかもしれないが、公示期間中、校内に掲示する選挙ポスターを描くことなどを手伝ったりしていた。


いまにして思えば、K君は児童会長に立候補することで、それまでの悪行を省み、改心しようとでも思っていたのか。 もしくは「いじめっ子」というイメージを払拭したかったのか。 それとも児童会長という地位を手に入れて、それまで以上にわがもの顔をしたかったのか。 いずれにせよK君が出馬した明確な動機は、当時も特に突っ込んで考えようとはしなかったし、当然いまでも憶えていない。


そしてはたして投票の当日、体育館で各候補者の演説が行われ、K君もそれなりに候補理由などを述べ、ある程度サマになる演説をしていた。 その後、投票が行われて即日開票されたが、結局K君は落選し、一方でなんだか当たり前のように、よそのクラスの優等生風情が当選した。 さすがにいつもとは違って、K君はそうとう落胆していた。


そして何年かが過ぎ、K君とは同じ中学で、私は三年のときに同じクラスだった。 K君は当たり前のようにグレてしまっていて、そもそも学校にも来たり来なかったりという感じになっていた。 当然のごとく不良仕様の自転車はいつしか不良仕様の原付バイクに変わっており、スクールウオーズよろしく、校庭を走り回るようになる。

ある日、美術の授業のときに、K君はほかの不良どもと廊下で騒いでいたのだが、それを咎めに行った教員を殴ってケガをさせた。 このことですぐに全校集会が開かれ、これを校長は「暴力事件」という言葉を使ってことさら大問題にしていたが、あの事後処理がどうなったのかは、われわれ生徒に知らされることはなかった。

そして中学卒業後、この彼がどういう道を歩んだのか私には知る由もない。 そもそも高校に行ったのかどうかも不明で、もしかしたら、どこかの暴力団にでも入っているのかもしれない。

思えば、この彼の人生の踏み外しは、かの児童会選挙の影響だったのかもしれない。 そしてここまで思い出したところで、私はあの選挙にまつわる重大なカラクリに気づいた...というかそんな気がしてしょうがなくなった。 というのも実はあれは、他の児童からもあまり評判の良くないK君を当選させるのは、やはり学校の体面上よろしくないなどと考えた当時の教員どもによる、票数操作だったのかもしれないと。 その真偽はもちろん定かではないが、なんともありそうなハナシではないか...