今度は10年前の駄文

昨日と同種の、後ろ向きで懐古的な10年前の文章を改訂転載。 当時、「ケガのハナシ」をテーマにメールを打つ機会があって、われながらあまりにもアホらしいことをしていたものだと自嘲気味。


小学六年生のとき、当時いつもツルんでいた友人と私は、校庭にあったブランコを思いっきり漕いでそこからジャンプし、どのくらい高く・遠く飛べるかという、いま考えるとぞっとするような遊びに興じていた。 現在のように毎朝始業ギリギリに会社に行くのと違い、当時はかなり早めに登校していたので、朝の始業までの20分間、二時間目休みの20分間、さらに給食後の昼休み20分間と一日三回くらい、毎日毎日飽きることもなく続けていた。


ただ、ブランコのところに行くのがちょっと遅れたりすると下級生に先に使われてしまうので、われわれはあとから来ておいて、彼らから脅し奪うようなコトもしていた。 とはいえ、それも度が過ぎると先生にチクられて大目玉を喰らうというリスクをともなうため、したたかな小学六年生は策を講じることにした。 それは当時、同じクラスに、ほぼ召使い状態のヤツがいたので、毎朝すごく早めに登校することを強要し、そのほかの休み時間にも、授業が終わったらすぐに校庭へ走って行かせてブランコを占有させておくというものだった。 そして私ともうひとりの友人は、あとから悠々とブランコのところに行っても、わがもの顔で遊べるという寸法で、こうすれば「脅し奪う」ことにはならないのでオレたちは正当だ!などとのたまっていたわれわれは、子供ながら悪知恵が働いたものである。 しかも雨の日でも朝から占有させておいて、結局われわれはブランコのところには行かないなどということも何度かあり、いま考えると悪魔のような所業。 授業が始まるというのでそいつが教室に戻ってくると、もうひとりの友人はその召使いもどきに「なんで戻ってくるんだよ?!」などと、かなりメチャクチャなコトを云っていた。


そんな数々の悪さが神の怒りに触れたのか、ある日の昼休み、いつものように飛んで遊んでいると、私はタイミングを取り損ねて体制を崩し、右腕から地面に落下してしまった。 一瞬、目の前が真っ白になってわれに返ると、右手首がおかしな具合に変形しており、私はすぐに最寄りの病院に送られた。 全治三ヶ月の骨折で右腕はギプスでガチガチに固定され、しかも悪いことに修学旅行の直前だったということもあり、腕を吊って旅行に行くという、まったくもって踏んだり蹴ったりの状態に陥ることになる。 しかもこんなコトがあると、ブランコ遊びに関するわれわれの悪行が、芋づる式に担任や親の知るところとなり、私は負傷しているというのに、こっぴどく叱られることになった。


しばらくギブスをしながらも、その状態に慣れてくるとまたまたブランコで遊んでいた私は、いわゆる「懲りないヤツ」だったのだろうか。 さすがにギプスを着けたままジャンプはしなかったが、骨折が完治するとまた同じ遊びに興じていただから、子供というのはなんとも愚かなものである。